人の幸せを祈ることと巡ってくる運の風をつかむ準備について ― CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者

- 9月15日
- 読了時間: 2分
人の幸運や成功を、まるで自分のことのように喜んでくれる人がいる。
「よかったね」と声をかけるとき、そこに少しも計算の影はない。ただ、心の底から相手を祝福している。そんな人と出会うと、こちらまで胸の奥が温かくなり、ほっと肩の力が抜ける。
不思議なものだと思う。
そういう人たちは、きっと同じ豊かさを享受する準備が出来ているのだろう。
「よかったね。次は私の番よ。」
そう心の中で軽やかに思える人は、巡ってくる運の風をつかむ準備が整っているのではないか。
人の幸せを祈ることは、とても大切なことだ。
しかし同時に、明確に「この人の幸せは祈れない」と感じる瞬間もある。
それは決して悪いことではないと思う。なぜなら、人はすべての人と分かり合うことはできないからだ。
分かり合えない相手に出会ったとき、心の奥でふとつぶやいてしまう。
――もう、二度と地球に転生してくるなよ、と。
少し乱暴な響きがあるけれど、それもまた人間らしい感情だ。
ここで思う。
もっとも大切なことは、善か悪かと判断することよりも、自分に嘘をつかないことだ。
心の底で「祈れない」と感じたのなら、その正直な声を否定せず、静かに受けとめる。
逆に「祈りたい」と思えたなら、その温かさを素直に差し出す。
善悪の物差しで切り分けるより、自分の感情に誠実であることが、ずっと大事なのだろう。
私がCS60の施術をしていると、不思議とそんな境界線のことを考えることがある。
人は人と交わりながら生きているが、完全にひとつにはならない。
だからこそ、自分の中に生まれた感情を大事にしながら、心地よく生きていくことが必要なのだろう。
人の幸せを祈れるときには祈る。
祈れないときには無理をしない。
その両方を抱えながら歩む道のりは、決して冷たくも弱くもなく、むしろ人間らしい温かさに満ちている。
今日もまた、誰かの「よかったね」に出会える日を楽しみにしている。
そしてその輪の中に、私もささやかに居合わせたいと願っている。
CS60LOHAS北九州緩み





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