手洗いの午後と、機械文明への讃歌〜喫茶猫屋堂整体〜CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者

- 11月3日
- 読了時間: 2分
洗濯機が壊れた。
電源は入るのに、スタートボタンも、他のボタンも沈黙している。
まるで機械が小さな反抗をしているかのようだった。
しばらく眺めていたが、どうやらもう洗濯機に頼ることはできそうにない。
そこで、物置の隅に置いていた左官用の大きなバケツを取り出した。少し土の香りがするそのバケツにお湯を溜め、洗剤を入れる。そこに衣類を沈め、しばらくつけておいた。
湯氣が立ちのぼる午後の光の中で、手をお湯に入れる。
お湯はぬるく、洗剤のぬめりが指に絡みついた。
布を押したり、もんだりしているうちに、いつの間にか無心になっていた。
水面がゆらぎ、そこに映る自分の顔がぼんやりと揺れる。
一度軽く絞って、再びお湯を張る。
すすぎを始めると、白い泡が静かに浮かび、薄い汚れが淡く流れ出した。
二回目のすすぎでも、まだ透明にはならない。
「まだだな」と呟きながら、三回目にはクエン酸を少し加えた。
すると、水がやわらかく感じられ、洗剤が静かに中和されていく。
四回目、五回目のすすぎを終えるころには、水は澄みきっていた。
バケツを軒下に運び、手で一枚ずつ絞りながら干していく。
秋の空は青く、風は軽やか。
ただ、天氣予報では13時から雨が降ると言っていた。
だから、濡れない場所を選びながら、洗濯物を丁寧に並べていく。
陽の光が布に反射し、少しずつ乾いていく様子を見ていると、まるで小さな生命が息を吹き返しているようにも見えた。
かなりの時間がかかった。
けれど、その間、頭の中は澄んでいた。
いつもなら無意識に「洗濯機に任せてしまう」時間が、今日は手と心で感じる時間になっていた。
どうすればよりきれいになるのか、乾き方に違いはあるのか——そんなことを考えている自分が、なんだか新鮮だった。
しかし、毛布や大きなシーツを手洗いすることを想像すると、さすがに気が遠くなる。
「やはり、機械文明の力は偉大だな」と、笑いながらつぶやいた。
人の手の温もりで洗うことと、文明の力に頼ること。
その両方を知ることで、生活の中に新しい発見が生まれる。
CS60の施術も、もしかしたら同じかもしれない。
身体を手で感じ、丁寧に触れていくとき、そこに小さな氣づきが宿る。
今日の洗濯は、そんな「原点」を教えてくれた。
お湯のぬくもりと、手の感触と、晴れた午後の静けさ。
壊れた洗濯機の前で、私は少しだけ、機械文明に感謝しながら、手の力を見直した。
喫茶猫屋堂整体
CS60LOHAS北九州緩み





コメント