柿とメジロと秋のひかり。安藤広重と江戸の人々と。喫茶猫屋堂整体。CS60LOHAS北九州緩み
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- 10月16日
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朝の湯氣がゆらゆらと立ちのぼる。
湯船につかりながら、ぼんやりと外を眺めていると、ふと、軒先の柿の木に何かが動いた。
メジロだ。
ふわりと枝にとまり、黄橙色の柿の実に嘴をのばす。
風に揺れる枝の上で、つぶらな瞳を光らせながら、ちいさく、すばやく、器用に果肉をついばんでいる。
羽毛は朝の光を受けて、まるで新雪の上の影のように淡く光った。
湯の音と、メジロの羽ばたきが重なりあうその瞬間、時が止まったような静けさが訪れた。
──江戸の浮世絵師、安藤広重も、この光景をどこかで見ていたのかもしれない。
『柿に目白』。その組み合わせには、長い年月を越えてなお、人の心を和ませる不思議な調和がある。
秋の実りと、小さな命。人と自然の距離がまだ近かった時代。
江戸の人々もきっと、こんな朝を、やわらかな心で眺めていたに違いない。
メジロの生き方は、きっと江戸の頃からあまり変わっていない。
変わったのは、人の方だろう。
鉄とコンクリートの森をつくり、情報に追われ、風の音や鳥の声を聞き逃してしまう。
けれど、ほんのひととき、こうして湯に浸かりながら、窓の外の小さな生命を見つめるだけで、身体の奥に「やわらぐ何か」が流れはじめるのを感じる。
CS60の施術をしていると、人の身体の中にも、自然のような流れがあることを思い出す。
肩のこわばりや、背中の違和感──それらは滞った水のように、ほんの少し手を添えるだけで、また静かに流れだす。
それは「癒す」というより、「本来の巡りを思い出す」ような時間だ。
メジロが柿を啄む姿を見ながら、私は湯船の中でそっと息を吐いた。
自然は、どんな時代にも変わらず、人を整える力を持っている。
そして、人の手のぬくもりもまた、その自然の一部なのだ。
ふわりと羽音がして、メジロは空へと舞い上がった。
残された柿の実が、朝の光を受けて少し揺れる。
湯氣の向こうに広がるその風景を見ながら、私は喫茶猫屋堂へ向かう支度をした。
身体のめぐりを整えること。
それは、風のように、鳥のように、自然のリズムに寄り添うこと。
今日もまた、静かな秋の一日が始まる。
喫茶猫屋堂整体
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