喫茶猫屋堂のカラオケ喫茶〜アンダー•ザ•シーの衝撃とカオス会〜喫茶猫屋堂整体。
- 管理者

- 10月5日
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福岡県新宮町花立花のとある夜、静かな住宅街の一角にある小さな喫茶店――喫茶猫屋堂が、いつものように柔らかな灯りをともしていた。
その夜だけは、コーヒーの香りに代わって、マイクと笑い声が響く特別な夜。猫屋堂が“カラオケ喫茶”に変わる日である。
常連たちが集まり、夜風とともに音の粒が窓の外にこぼれていく。
先日お会いした二人の女性が、懐かしい笑顔で扉を開けた。彼女たちは、かつて同じ職場で働いていた男性を連れてきていた。
その男性――少し照れくさそうにマイクを握る姿に、どこか誠実な空氣が漂っていた。
一曲目。
流れ出したのは、徳永英明の「夢を信じて」。
柔らかく、それでいて芯のある声が店内を包み、誰もが一瞬、時を忘れた。
昭和から平成へと移り変わる時代を支えた名曲。懐かしさが胸を温め、ふと笑顔がこぼれる。
音楽は、記憶の引き出しをやさしく開ける不思議な力を持っている。
そして――二曲目。
イントロが流れた瞬間、誰もが思わず顔を見合わせた。
「アンダー・ザ・シー」。映画『リトル・マーメイド』の名曲だ。
彼は、原曲に忠実に、いやそれ以上に陽氣に歌いはじめた。
身体全体でリズムを刻み、声だけでなく表情、身振り、心までもが踊っていた。
まるで、海の底のカニや魚たちが一斉にステージに上がってきたようだった。
その表現力たるや、映画の中の歌手を超えていた。
「♪Under the sea〜♪」のフレーズが響くたび、観客席ならぬ喫茶のテーブル席が笑いと拍手で揺れた。
私は笑いすぎて涙が出た。――今年一番笑ったのは、この夜、この歌だった。
三曲目は「田園」。
彼は再びモノマネを交えながら、ギターを持っていないのに、胸元で空をかくように弾き語り始めた。
「ここを刺激しないと声が出ないらしい」と言って、胸の辺りをこすりながら歌うその姿がまたおかしくて、笑いの渦が起こる。
でも、その仕草の奥に、音楽を全身で感じようとする真摯な氣持ちが見えて、誰もが彼に魅了されていった。
やがて、彼のリクエストで二曲、私も一緒に歌うことになった。
曲が進むにつれて、空氣はどんどんカオスへ――。
私は歌に合わせて踊りながら、彼に近づき、視線を交わし、リズムに身を委ねた。
彼も手拍子とダンスで応え、店の中はまるで祭りのような熱気に包まれた。
彼は座席に戻ると、猫屋堂特製の猫パンと甘口カレーを二杯たいらげ、さらに唐揚げまで平らげた。
けれど、その食べ方は驚くほど丁寧だった。
箸の運びも、器の扱いも美しく、食べ物への敬意と、作り手への感謝がそこにあった。
静かな礼儀が、彼の人柄そのものを語っていた。
お酒も飲まずに、あれほどの盛り上がりを見せた彼。
音楽だけで心を満たし、空氣を温める人。
まるでお店全体が喜んでいるようだった。
散会のとき、ふと店内を見渡すと、皆の顔がほんのり赤く輝いていた。
笑いすぎた頬の熱、歌ったあとの充足感。
そして、誰もが「また来たい」と思う、あの不思議な幸福の余韻。
カラオケ喫茶とは、単なる娯楽ではない。
それは、魂が解き放たれる場所であり、
人が“生きている喜び”を分かち合う場なのだ。
帰り道、夜風の中を歩きながら、私はふと思った。
――あの「アンダー・ザ・シー」の笑い声は、まるでCS60の施術のあとに流れる笑いと似ている。
心の滞りが流れ出し、身体がほどけ、魂が自由になる。
その瞬間、人は本来のリズムを取り戻す。
笑いと音楽が、氣のめぐりを整える夜。
それが、猫屋堂カラオケナイトの本当の力だった。
喫茶猫屋堂整体
CS60LOHAS北九州緩み





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