全国の観音巡礼を歩き通した方と信仰の深さについて対話〜宗像市CS60出張施術日記〜CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者

- 9月16日
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宗像市の閑静な住宅街。静かに門をくぐると、庭の木々が秋の光を受け、ゆるやかに揺れていた。
ご主人はかつて、四国の八十八ヶ所をはじめ、全国の観音巡礼を歩き通した方だと聞いた。汗をかき、足を痛めながらも、一歩一歩を積み重ね、やがて巡り終えたその道のりは、信仰の深さだけでなく、生き方そのものを映しているのだろう。
今回のご依頼はCS60での全身施術。静かに横たわられると、その身体の奥に長い旅の記憶と、祈りの積み重ねが息づいているように感じられた。機械では測れない微細な波のようなものが、手元を通じて伝わってくる。ゆっくりと施術を終える頃には、ご主人の呼吸はより穏やかになり、深い休息へと導かれていった。
終わったあと、リビングへ招かれる。そこには、まるで時間がゆるやかに巻き戻されたかのような和の空気が広がっていた。
ご主人は手際よく茶道具を並べ、湯を沸かし、抹茶を点ててくださった。袱紗をさばく指の所作は流れるようで、見惚れてしまうほどだった。出されたお菓子は、京都の金平糖と黒豆、そして小ぶりなお饅頭。どれも、口に含むとほろりとほどけ、心までほどけていくような味わいだった。
茶碗を両手で受け取り、熱の伝わる陶器を感じながら一服。静けさに包まれたその空間で、自然と「ヨガ」の話題が出た。ご主人は目を細め、ゆっくりと語る。
「人の身体には、目に見える肉体だけじゃなく、もうひとつの層があるんですよ。ヨガでは『プラーナ体』とか、『エネルギーの身体』とも言われます。呼吸や氣の流れと深くつながっていてね。肉体を支える土台のようなものなんです」
その言葉を聞きながら、ふと施術中に感じた「微細な波」を思い出した。確かに、筋肉や骨の感覚だけでは説明できない、もうひとつの身体が存在するかのようだった。
「私たちは普段、肉体を動かすことばかりに意識を向けていますが、本当はその背後にある『エネルギーの身体』が、肉体を動かしている。ヨガの呼吸法も、座禅も、祈りも、すべてはその目に見えない身体を整えるための行なのかもしれませんね」
ご主人の声は柔らかいが、長い巡礼の旅を歩み切った人の重みが宿っていた。
お茶の余韻とともに、私はその言葉を胸に刻んだ。
人は筋肉や骨だけでできているのではない。もっと大きな流れの中で、生かされている存在なのだ。
窓の外では、秋風が木の葉を揺らし、光と影の模様を畳の上に落としていた。
その揺らぎさえも、エネルギーの身体が奏でる響きのように思えた。
CS60LOHAS北九州緩み





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