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六地蔵と108本の串カツ〜喫茶猫屋堂整体〜CS60LOHAS北九州緩み

 新宮町花立花に、小さな串カツ屋があった。暖簾はすこし色あせ、油の香りが夜風にのって漂っている。

 店の名は「六地蔵」。

 店の前には、丸い頭に優しい顔をした石地蔵が六体、並んでいた。


 暖簾をくぐると、古びた木のカウンターに十席ほど。

 店主の源蔵(げんぞう)は、六十をすぎた初老の男で、もともとは寺の小僧だったという。

 僧になる道を途中で外れ、煩悩まるだしのまま油の鍋を前にしている。

 しかしその手つきは、経文を唱えるように静かで、串を油に落とすたび、まるで祈りの鐘が鳴るようだった。


 その夜、一人の青年がふらりと店に入ってきた。

 背広の肩は少し濡れ、顔には仕事の疲れが滲んでいる。


「いらっしゃい。串、何本いく?」

「……おまかせで」


 源蔵は黙ってうなずき、一本、また一本と串を油に沈めていく。

 衣の泡がぱちぱちと弾ける音が、静かな夜を満たしていた。


 青年は一口かじるたびに、少しずつ顔の緊張を解いていった。

 牛、玉ねぎ、蓮根、うずら、紅しょうが……。

 串はまるで人生の断片のように、次々と皿に積み上がっていく。


 やがて青年がふと数を見て、笑った。

「もう二十本くらい食べましたかね」

「いや、まだ十七や。108本までは遠いで」


「108本?」と青年が聞き返すと、源蔵は油を見つめたまま語りはじめた。


「この店の名の六地蔵はな、人が生まれ変わり死に変わりする六つの世界を守っとる地蔵や。

 天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。

 誰もがそこを行き来しながら、心の煩悩を減らしていく。

 串を一本食べるたび、ひとつの煩悩を噛みしめるんや」


 青年は箸を止めた。

「じゃあ、108本食べたら……?」


「さあ、知らんな」

 源蔵は目を細めた。「それを知っとる奴は、もうこっちの世界にはおらん」


 青年は苦笑いを浮かべながら、また串を口に運んだ。

 酒もすすみ、夜が深まる。

 店内の時計が十二を過ぎたころ、青年はふと気づいた。

 串の山がいつのまにか百本を超えていた。

 なのに腹は不思議と苦しくない。

 むしろ、心の奥がゆるやかに軽くなっていく。


「源蔵さん、もう八本ください」

 その声には、どこか穏やかな光が宿っていた。


 最後の一本を食べ終えたとき、風鈴がかすかに鳴った。

 外では、店先の六地蔵が淡く光を放っていた。

 青年はそれをぼんやりと見つめ、席を立とうとした。


「ごちそうさまでした。……勘定を」

 そう言うと、源蔵は首を横に振った。

「いらんよ。もう払うもんは払うたやないか」


 青年は不思議に思いながらも、深く頭を下げて店を出た。

 夜風はひんやりして、雨の匂いがした。

 振り返ると、店の明かりはもう消えていた。

 地蔵の灯りだけが、やさしく道を照らしていた。


 翌朝、青年は出勤途中にもう一度その場所へ行ってみた。

 だが、そこに「六地蔵」という店はなかった。

 古い地蔵が六体、並んでいるだけ。

 地蔵の足元には、小さな竹串が108本、束ねられて置かれていた。


 風が吹き、ひとすじの油の香りがどこからか漂ってきた。

 青年は目を閉じ、心の奥で手を合わせた。

 昨日の夜、自分が手放した煩悩の重さを、そっと思い出しながら。


六地蔵は、人の六道を照らす慈悲の象徴。

108本の串カツは、人の煩悩そのもの。

それを一つひとつ味わい尽くした者は、苦も楽も共にいただき、ようやく軽やかに歩き出せる。


――その先に見える道は、もしかすると、天国でも地獄でもなく、ただ「今のこの場所からはじまる」のかもしれない。


喫茶猫屋堂整体


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