六地蔵と108本の串カツ〜喫茶猫屋堂整体〜CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者

- 10月24日
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新宮町花立花に、小さな串カツ屋があった。暖簾はすこし色あせ、油の香りが夜風にのって漂っている。
店の名は「六地蔵」。
店の前には、丸い頭に優しい顔をした石地蔵が六体、並んでいた。
暖簾をくぐると、古びた木のカウンターに十席ほど。
店主の源蔵(げんぞう)は、六十をすぎた初老の男で、もともとは寺の小僧だったという。
僧になる道を途中で外れ、煩悩まるだしのまま油の鍋を前にしている。
しかしその手つきは、経文を唱えるように静かで、串を油に落とすたび、まるで祈りの鐘が鳴るようだった。
その夜、一人の青年がふらりと店に入ってきた。
背広の肩は少し濡れ、顔には仕事の疲れが滲んでいる。
「いらっしゃい。串、何本いく?」
「……おまかせで」
源蔵は黙ってうなずき、一本、また一本と串を油に沈めていく。
衣の泡がぱちぱちと弾ける音が、静かな夜を満たしていた。
青年は一口かじるたびに、少しずつ顔の緊張を解いていった。
牛、玉ねぎ、蓮根、うずら、紅しょうが……。
串はまるで人生の断片のように、次々と皿に積み上がっていく。
やがて青年がふと数を見て、笑った。
「もう二十本くらい食べましたかね」
「いや、まだ十七や。108本までは遠いで」
「108本?」と青年が聞き返すと、源蔵は油を見つめたまま語りはじめた。
「この店の名の六地蔵はな、人が生まれ変わり死に変わりする六つの世界を守っとる地蔵や。
天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。
誰もがそこを行き来しながら、心の煩悩を減らしていく。
串を一本食べるたび、ひとつの煩悩を噛みしめるんや」
青年は箸を止めた。
「じゃあ、108本食べたら……?」
「さあ、知らんな」
源蔵は目を細めた。「それを知っとる奴は、もうこっちの世界にはおらん」
青年は苦笑いを浮かべながら、また串を口に運んだ。
酒もすすみ、夜が深まる。
店内の時計が十二を過ぎたころ、青年はふと気づいた。
串の山がいつのまにか百本を超えていた。
なのに腹は不思議と苦しくない。
むしろ、心の奥がゆるやかに軽くなっていく。
「源蔵さん、もう八本ください」
その声には、どこか穏やかな光が宿っていた。
最後の一本を食べ終えたとき、風鈴がかすかに鳴った。
外では、店先の六地蔵が淡く光を放っていた。
青年はそれをぼんやりと見つめ、席を立とうとした。
「ごちそうさまでした。……勘定を」
そう言うと、源蔵は首を横に振った。
「いらんよ。もう払うもんは払うたやないか」
青年は不思議に思いながらも、深く頭を下げて店を出た。
夜風はひんやりして、雨の匂いがした。
振り返ると、店の明かりはもう消えていた。
地蔵の灯りだけが、やさしく道を照らしていた。
翌朝、青年は出勤途中にもう一度その場所へ行ってみた。
だが、そこに「六地蔵」という店はなかった。
古い地蔵が六体、並んでいるだけ。
地蔵の足元には、小さな竹串が108本、束ねられて置かれていた。
風が吹き、ひとすじの油の香りがどこからか漂ってきた。
青年は目を閉じ、心の奥で手を合わせた。
昨日の夜、自分が手放した煩悩の重さを、そっと思い出しながら。
六地蔵は、人の六道を照らす慈悲の象徴。
108本の串カツは、人の煩悩そのもの。
それを一つひとつ味わい尽くした者は、苦も楽も共にいただき、ようやく軽やかに歩き出せる。
――その先に見える道は、もしかすると、天国でも地獄でもなく、ただ「今のこの場所からはじまる」のかもしれない。
喫茶猫屋堂整体





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