赤い小さなダリアが教えてくれたこと――マティスの色、モローの眼差し、そして静かな秋の午後〜喫茶猫屋堂整体〜CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者

- 11月7日
- 読了時間: 2分
朝の空氣は澄みわたり、まるで絵筆で描いたように透明な青が広がっていた。
その日、私は近くの直売所へ立ち寄った。木の香りがする小さな建物の中には、野菜や果物、そして季節の花々が並んでいる。
その中に、ひときわ目を引く赤い小さなダリアがあった。深い紅の色。
ただ鮮やかというよりも、まるで心の奥底に眠っていた情熱を呼び覚ますような赤だった。
さらに隣には、紫やピンクのトルコキキョウ、そして白い小花をたくさん咲かせた野菊。
どれも優しく、けれど生命の鼓動を静かに感じさせるような花たちだった。
それらを抱えて、喫茶猫屋堂へ向かう。
パフェグラスを選び、その中に花を一輪ずつ挿していく。
透明なガラス越しに見える茎と水の光が、まるで絵の具のように溶け合って、美しい。
赤いダリアが中央に立つと、空間全体の空氣が少しだけ引き締まった。
それでも、トルコキキョウや野菊がその強さをやさしく包み込んで、調和の音色を奏でているようだった。
その瞬間、ふとマティスの赤を思い出した。
あの絵――「赤い部屋」。
キャンバスいっぱいに広がる赤は、ただの背景ではなく、ひとつの“場”そのものだ。
空間ではなく、平面でありながら、そこには確かに存在する深さがある。
高次元の空間を無理に二次元へ閉じ込めたような、奇妙な圧力と安らぎ。
マティスの「ダンス」に描かれた青もそうだ。
あの青は、単なる色ではなく、生命の旋律だ。
彼は師であるモローから何を受け取ったのだろう。
そして、同じくモローの弟子であるルオー
。あの厚塗りで素朴な人物たちの中に、どれほどの祈りと慈しみが込められていたのだろう。
もしも私が同じ時代に生き、モローであったなら、
マティスやルオーが作品を持って訪れたとき、
私はどんな言葉を彼らにかけただろう。
「これは美しい」と言葉にするより前に、
きっと静かに涙を流したかもしれない。
赤いダリアを見つめながら、そんなことを思う。
絵も花も、人の手を離れたあとに、本当の生命を持ち始める。
喫茶猫屋堂の窓から差し込む秋の光が、花々を照らしていた。
その輝きは、モローが愛した幻想の世界と、
今ここにある現実の小さな場とを、やさしく結びつけているようだった。
そして私は、静かにその場に佇む。
マティスの赤のように、ルオーの厚塗りのように、
この一瞬もまた、心の中に鮮やかに残っていくだろう。
――今日も、CS60LOHAS北九州緩みの一日は、静かな光の中でゆっくりと流れている。
喫茶猫屋堂整体





コメント