まるごと命をいただくということ
- 管理者
- 3月28日
- 読了時間: 3分
更新日:3月31日
こんにちは。
北九州市近郊でCS60の出張整体施術を行っております、CS60LOHAS北九州緩みです。
先日、ある回転寿司で「カレイのヒレせんべい」を食べました。カリッと香ばしく揚がったヒレは、旨味が凝縮されていて、噛めば噛むほど味わい深い。それだけでも十分満足だったのですが、ふと目に留まったメニューがありました。
「いかゴロ焼き」です。
注文すると、小さな陶器の鍋にまるごとのイカが入り、バターでじゅうじゅうと炒められていきます。驚いたのは、通常は捨てられることも多い「イカのわた」まで一緒に調理されていたこと。これがまた、濃厚な旨味たっぷりで絶品でした。まるで漁師飯のような豪快な一品。
その時ふと、「命をまるごといただく」ということを強く意識しました。
食べ物を無駄にしない、小さな挑戦
それ以来、私は普段の食事でも「できるだけ捨てる部分を少なくする」ことを意識するようになりました。
例えば、ピーマンのヘタは包丁で切るのではなく、裏側から指で押せば簡単に取れます。にんじんの皮も剥かずにそのまま使う。土鍋でご飯を炊いた時は、一粒も無駄にしないように最後まで丁寧によそいます。
どこまで捨てずに食べられるか。これを軽いゲーム感覚でやってみると、意外と樂しいものです。どうしても食べられない部分は、庭の土に還しています。
こうして、まるごと命をいただくことは、私なりの感謝の表現になりました。
感謝の氣持ちが味を変える
食べ物が美味しく感じるかどうかは、感謝の氣持ちに比例すると私は思っています。
最初は「感謝しよう」と頭で考え、言葉にするだけでした。でも、畑仕事を手伝ったり、料理を丁寧に作ったり、実際に体を動かすうちに、身体全体で感謝できるようになってきました。
スーパーに並ぶ食材も、さかのぼってみると、そこにはたくさんの人の手が関わっています。
漁師さん、農家さん、運送業の方、スーパーの店員さん。私たちが日々当たり前のように口にしている食べ物は、数え切れない人々の働きによって届いているのです。
そして、実際にそういった方々と出会い、話を聞くと、思いもよらない発見がありました。
「この仕事をこの人がやってくれていたのか」
「自分が同じことをできるかと言われたら、到底できない」
そう氣づいたとき、食べ物の価格に対して「安い」「高い」といった考え方はすっと消え去り、ただただ「ありがたい」と思うようになりました。
働くことは、支え合うこと
さらに、「働くこと」そのものについても考えるようになりました。
私たちはつい、自分の仕事だけを見てしまいがちですが、実はみんなの仕事がつながって、社会を形作っています。
自分が誠実に働くことが、巡り巡って誰かの暮らしを支えている。そう思うと、どんな仕事も尊いものに感じます。
以前は、働く人同士が競争し、疲弊してしまうことも多い世の中でした。でも、本来はみんなで支え合う仕組みこそが、社会の理想の姿なのではないでしょうか。
そう氣づけたことに、心から感謝しています。
このような「氣づき」を日々の生活の中で大切にしながら、CS60の施術を通して、皆さまの身体も心も「緩む」お手伝いができればと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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