ミルクティーと遠くから来るもの~直方市のCS60施術日記~
- 管理者
- 6月11日
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灰色を含んだ曇り空が、遠くの山裾をぼんやりと滲ませていた日だった。
風はなく、ただ音もなく、6月の午後がじっとしていた。
その日、私は直方の町へ向かった。
季節の狭間でゆらぐ空気のなかを、野に咲く名も知らぬ小さな花が、路肩にちらほらと揺れていた。
呼ばれたのは、ごく静かな住宅街の一角だった。
門柱の横に植えられた松の木が、無言で風を受けていた。
ピンポンの音が小さく響くと、まるでその音に呼応するように、家の奥から足音が近づいてきた。
「どうぞ」と招かれた部屋には、やわらかな陽がひとすじ、レースのカーテンを通して床に落ちていた。
依頼人は、数年前から肩の違和感に悩まされているという女性だった。
「首をね、こうやって回したり、自分でさすったりしても、もう全然ダメで……」
言葉の端々に、長く我慢してきた氣配がにじんでいた。
彼女は、わずかに頭を傾けた。
その角度が、苦労の年月を物語っていた。
首は、日々の重さを最も無防備に受け取る部位だ。
子育て、仕事、人間関係──全ての「荷重」が、そこにかかる。
施術は静かに始まり、そして静かに終わった。
CS60を滑らせる手のひらから、私自身の呼吸がゆっくりと整っていくのを感じた。
氣がつけば、彼女の首筋はやわらかく解け、肩から腕へと澄んだ川のように流れが戻っていた。
「えっ……こんなに簡単に楽になるんですね」
彼女の声には、ほんの少し涙のような響きがあった。
施術が終わったあと、ひとときの静かな対話が生まれた。
「最近、友の遠方より来るというのがキーワードになっていて、」
と、目を閉じたまま。
「10年以上、疎遠だった友人と偶然会って……それから、次々と、昔の知人に会うようになったんです。まるで、忘れていた時間が向こうから歩いてくるみたいで」
この言葉に、私は少しだけ震えた。
人は、遠くに置いてきたものと再会するために、ある日、身体を緩めるのかもしれない。
心より先に、肉体がその準備を始めるのかもしれない。
時間が巡り、忘れていた手紙の封がふいに開くように、人は再びつながっていく。
剪定された枝から新たな芽を出すように。
彼女は紅茶をいれてくれた。
少し濃いめのミルクティー。
小さくしっかりとしたカップから、湯気がやわらかく立ちのぼる。
彼女はスティックシュガーを一つだけ入れた。私はそのまま、ストレートでいただいた。
このミルクティーはどこかアジアの異国の味がする。
言葉はとぎれとぎれだったが、不思議と沈黙が心地よかった。
古い時間と、新しい時間が、ゆっくりと交差するようなひとときだった。
まるでそれぞれの人生の節目に、見えない縫い目があるかのように。
「時間は、戻らないと思ってたんです。でも、戻るというより……迎えに来た感じでした」
そんなふうに、彼女は言った。
私は、施術の本質というものは、過去との再会を手助けすることにあるのではないか、と思い始めていた。
傷ついた身体も、忘れた感情も、時として自分のもとへ戻る勇氣を持てなくなる。
その橋渡しが、CS60でできるなら、それは施術以上の何かだ。
氣づけば、時計の針が思いもよらぬ時刻を指していた。
次の予約が迫っていた。
私は慌てて鞄を手に取り、申し訳なさを感じながら玄関を後にした。
「またゆっくりお話しできるといいですね」と彼女が笑った。
帰り道、空は淡い夕暮れに染まり始めていた。
川沿いの伸びた草が風に揺れていた。
人生は、何度でもやり直せる。
言い直したり、聞き直したり、見直したり。
そのことを、私は今日の出会いの中であらためて教わった。
時間のほつれ目に、ふと生まれる再会。
そこに寄り添うような施術であれたなら。
私は今日も静かに、次の町へと向かう。

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