拭き掃められた人生の隙間にてー小倉北区CS60施術記ーCS60LOHAS北九州緩み
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- 6 時間前
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その部屋は、まるで誰かの意志で時間が止められたかのように整っていた。
福岡県小倉北区。まだ朝の涼しさをわずかに残す集合住宅の一室。掃き清められた玄関のたたき、磨かれた真鍮のドアノブ、畳の目に沿って丁寧に拭かれた床。空間すべてが、住む者の性格をそのまま写していた。
迎えてくれたのは、五十代半ばの穏やかな男性。やわらかく笑みを浮かべるその目の奥に、「きちんと生きること」への静かな決意が宿っている。
「まぁ、好きなんですよ、掃除が」と、彼は照れくさそうに言った。
CS60の出張整体のために訪れた私は、施術用の布を敷きながら、すでに心の中で頷いていた。清潔好きとはまた違う。彼は、ただ清めるために掃除をしているのではない。何かを整え、過去と折り合いをつけるように、部屋と自身を同時に磨いているように見えた。
施術中、彼はとつとつと話してくれた。
「若い頃はね、ずいぶん荒れた生活をしていたんですよ。部屋が汚くて、新品の眼鏡を次の日に踏んでしまったり、モノも、すぐ壊してしまって。ある時ふと、壊さないためにはどうしたらいいかと考えて、始めたんです、掃除を」
私はその言葉に、重みと、どこか切なさのようなものを感じた。
彼の背中には、静かだが頑固な凝りがあった。特に肩甲骨の内側。日々、掃除機を持ち、手を伸ばしては高いところを拭き上げるような、そんな日常の積み重ねが刻まれていた。
CS60を滑らせるたび、まるでその整然とした生活の裏にある、喧騒や焦燥、未整理の記憶までもが浮かび上がってくるようだった。私は無言で施術を続けた。ただひとつひとつ、彼が見過ごしてきたかもしれない身体の声を、静かに拾い上げるように。
「掃除って、心の乱れが出るんです。不思議なくらい。氣分が落ち込んでいる日は、どうしても角を拭き残してしまう」
彼の言葉は、まるで一冊の随筆のようだった。
施術の終盤、彼はふと天井の隅を見上げて言った。
「人の身体も部屋も、隅っことか見えない所が一番大事なんです。光が届かない場所に、いちばん埃が溜まるから」
私は思わず、膝の上で手を止めた。そこには真理があった。人の心もまた、照らされない隅の部分にこそ、忘れ去られた疲れや、言葉にできない痛みが眠っている。CS60の施術とは、その小さな隙間に光を差し込むような行為なのかもしれない。
終わったあと、彼は「すごく楽になった」と言って、掃除機を取り出した。
「今日は天氣もいいから、ついでにエアコンのフィルターでも洗いますよ」
私は笑いながら、「お身体もメンテナンスできたばかりですから、楽しみですね」と伝えた。
——けれど、私は知っていた。 この人は掃除をすることで、自分の暮らしを、心を、人生そのものを、丁寧に「受け入れて」いるのだ。
遠くの森で鳴いている陽氣な鳥の鳴き声が、夏の午後に静かに響いていた。

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