新宮町花立花の喫茶猫屋堂のまわりの草刈りが実施されて思ったこと〜CS60LOHAS北九州緩み〜
- 管理者
- 5 日前
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ミンミンゼミの声が響く晴れた朝だった。新宮町花立花の喫茶猫屋堂のまわりを歩くと、黄金色に色づき始めた稲穂が、そよそよと風に揺れている。足元を見れば、草が刈られたばかりの跡があり、その生命力の強さに思わず立ち止まった。誰からも水を与えられることなく、踏まれても枯れることなく、ただそこにある草たち。小さな根を土に伸ばし、石を避けながら、確かに生きている。
けれど、その根は重機のように硬い土をこじ開ける力を持っているわけではない。電気も磁気も使わない。ただ、ひっそりと、時の流れを味方につけるように、雨が土を柔らかくしたその瞬間を待ち、ほんのかすかな力で少しずつ地下へと伸びていくのだろう。そして一度伸びた根は土をまとい、さらに新しい根を芽吹かせていく。その姿は、まるで天と大地の間に育まれた見えないネットワークの一部であるかのようだ。
もしも人が植物と語り合うことができたなら、どんな驚くべき叡智が得られるだろうか。草むらを見渡せば、多種多様の緑が混ざり合い、それぞれの個が調和しながら共存している。特定の草だけが突出して周囲を枯らすような光景は見たことがない。そこには、自然界の分配の仕組みが働いているのではないか。互いを活かし合う秩序が、静かに存在しているのではないか。その相似形を、人間社会に生かすことができたなら、どれほど豊かな世界が拓けるのだろう。
ふと目をやると、刈られた草が箒と塵取りで集められていた。ところが突然、強い風が吹き抜け、刈草は宙に舞い上がり、くるくると踊るように空へ消えていった。やがて風に流され、再び草むらの中へと還っていく。その光景を眺めながら、ふと人の心にも同じように草が生えてくるのではないかと思った。
日々を生きるなかで、心には小さな雑草のようなものが芽吹き、やがて鬱蒼と広がることがある。それを静かに刈り取るのは、眠りにつく前のひととき。自らを振り返り、省みることで、心の草刈りをしているのかもしれない。そして、その後に訪れるのは、草ではなく、花の季節なのだろう。
だが、心には時に枯れ草のようなものが溜まることもある。その不要なものを吹き飛ばす力は、きっと人の「笑顔」にある。誰かの笑顔が差し込むだけで、重たい心の中の残骸は風に舞い、消えていく。笑顔は救いであり、風であり、光なのだ。
ミンミンゼミの声が一層高く響いた。稲穂の海の中、草たちは静かに根を張り、見えない力でつながっている。その姿を胸に刻みながら、私は今日も「喫茶猫屋堂」という名の小さな場所で、人と人の心を結ぶ時間を大切にしようと思った。
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