明るさと誠実さで花咲く、年齢を超えた美しさに出逢って~北九州市若松区のCS60施術日記~CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者
- 7月18日
- 読了時間: 2分
福岡県北九州市若松区。
海風がわずかに香るこの街の一角に、白いレースのカーテンが風にゆれる静かな家があった。
出張施術の依頼を受け、私はこの日もCS60を携えて訪問した。
案内されたリビングは、こざっぱりとした空間だった。
観葉植物が陽だまりの中で小さく揺れ、壁に飾られた数枚のポストカードが、住まう人の静かな感性を物語っていた。
施術の対象は、この家に住む小柄な女性――年齢を聞いた瞬間、私は正直に驚いた。
数字だけを見れば高齢にあたるのだが、その姿には年齢という枠が感じられなかった。
肌の艶、姿勢、目の輝き、声の調子。どれを取っても年相応の印象を受けない。
だが、それ以上に印象的だったのは、その人柄である。
施術を終えると、テーブルで温かいほうじ茶を差し出してくれた。その香ばしい香りに包まれながら、私たちはしばし談笑した。
「運動はあまりしないのよ」
そう言って、彼女はくすりと笑った。
「でも、天神の大丸まで出るの。電車で行って、少し歩いて、デパートの中をうろうろしてるの。見るだけで樂しいし、けっこう歩くのよ」
なるほど、それは立派な運動だと思った。目的が「歩くこと」ではなく、「樂しむこと」であるというところに、彼女の美意識がにじんでいた。
明るい色の服を好んで着ているという。白、黄色、若草色、桃色――パステルの柔らかさが彼女の雰囲氣によく似合うのだろう。だが本当の美しさは、その外見ではなかった。
「うそはつかないようにしてるの。人にも、自分にも。あとね、不平や悪口は言わないようにしてるのよ」
その言葉には力みがなかった。「〜ようにしてる」と言いながらも、それは彼女にとって意識的な努力ではなく、日々の中で自然としみこんでいった所作のようだった。
無理をしない。強がらない。
その生き方そのものが、心身の調和を呼び、年齢を超えた「清らかさ」となって表れているのだと私は感じた。
私は日々、身体の声に耳を澄ませる仕事をしている。
滞りや違和感の奥には、時に心の在り方が静かに横たわっている。
だからこそ思うのだ――人の心と身体は、やはり一体のものなのだと。
心が澄めば、身体も整い、身体が軽やかになれば、心もふと明るくなる。
そして、そのどちらもを明るく清潔に保ち続けようとする人は、いくつになっても美しい。
それは、肌の張りや筋肉の強さとは別の、「生き方」が宿した美しさだ。
あの午後のほうじ茶のぬくもりとともに、私はそのことを深く、確かに胸に刻んだ。

コメント