【耕す手、癒す手──八幡西区・竹藪跡の若き開拓者】CS60LOHAS北九州緩み
- 管理者
- 4 日前
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七月の空は、夏に向かって膨らんでいる。風は熱を帯びながらも、どこか草の香をまとっていた。
その日、私は八幡西区の小高い住宅街を抜けて、ある一軒の家にCS60の出張施術に向かった。
迎えてくれたのは、まだ三十に届くか届かぬかという若い男性だった。
快活で飾らない表情が印象的で、挨拶もそこそこに、彼は裏庭へと私を案内してくれた。
そこには、畑が広がっていた。
だが、ただの畑ではなかった。
一歩、足を踏み入れた瞬間、足元の土が語るようだった。ここは、もともと竹藪だった場所だと。
「去年の冬、竹を一本ずつ、地上1メートルくらいのところで切って放置したんです。時間が経つと、自然と枯れていくんですよ。不思議ですけど、ちゃんと、命の流れが止まるんです」
彼の声は、風のなかでもまっすぐに届いた。
今ではその竹の名残が地中に眠り、畑の土は無肥料・無農薬で、なす、トマト、ししとう、ピーマン、唐辛子が元氣に育っていた。
隣には、カットされたまま枯れを待つ竹の列。そこも、次は畑にする予定だという。
施術のために部屋に戻ったあとも、私はしばらく、彼の手の感触を忘れられなかった。
草を掴み、土を耕し、雨を読み、陽を受け止める、そんな手だった。
CS60の施術が進むうち、彼の体も少しずつ緩みはじめた。
それは、まるで長く締まっていた地中の根が解けてゆくようでもあった。
施術後、彼はぽつりとこう言った。
「何もしないより、今あるものを使って、なんとかする方がいいと思うんです。誰かが残したままの場所も、工夫すれば生き返る。畑も、体も、そうなんじゃないかって」
その言葉が、深く胸に残った。
都会の片隅で、無数の人々が時間に追われ、流され、過ぎ去るものに手を振るだけの日々を送っている。
そんななかで、朽ちかけた竹藪に手を入れ、そこから命を育む土に変えていく若者がいる。
彼の営みは静かだが、確かな意思に満ちていた。
手を動かし、目で確かめ、足で立ち続けるということ。
それは、CS60の施術を通して私自身が日々、体の声に耳を澄ます行為とも重なって見えた。
北九州の空の下、開墾されたその畑の端には、小さな青い実がなっていた。
それは、未来の味を予感させる、やわらかくも力強い兆しだった。

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