静けさに包まれて ― 白い睡蓮とともに~小倉北区のCS60施術日記~
- 管理者
- 6月9日
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皆さんこんにちは。
北九州市小倉北区近郊でCS60の出張整体を行っておりますCS60LOHAS北九州緩みです。
先日は小倉北区にお伺いしました。
小高い丘の上、閑静な住宅街の一角に、そのご自宅はありました。
少し早めに到着した私は、軒下に並べられた小さな鉢に目を奪われました。
そこには、ひっそりと、しかし凛とした姿で白い睡蓮の花が咲いていたのです。
朝の光をやわらかく受けて、白い花びらがほんのりと透けて見えました。花の周りには、水面に浮かぶ葉と、水の静けさ。そのすべてが、私の中に自然と深い呼吸を取り戻させてくれるようでした。
「綺麗ですね」そうお声をかけると、ご依頼主の女性が微笑みながら答えました。
「毎年この季節になると咲いてくれるんですよ。ただ、今年のは、いつもより優しい氣がするんです」
風が庭木の枝をやさしく揺らし、葉っぱがさわさわと擦れ合う音がします。人工の音ではなく、自然が奏でる音。それは、言葉よりも深いところに、まっすぐに届いてくるようでした。
施術を終えたあと、しばし、お茶をいただきながらその睡蓮をまた見つめていました。
咲こうと力んでいるわけでもなく、努力して「美しくあろう」としているのでもない。それなのに、そこにあるだけで、周囲を癒し、調和を生み出す。
それはまるで、人が本来持っている自然治癒力のようでした。出そうとして出すのではなく、備わっているものを、ただ邪魔せずに「手放す」。そうして湧き上がってくる力。
CS60の施術に携わっていると、ときどきこういうことに気づかされます。「何かを加える」のではなく、「すでにあるものを引き出す」こと。不要な緊張や、滞りや、抑え込まれていた感情がゆるんでいくと、人は自らの中にあったエネルギーにもう一度、出会えるのです。
この日、白い睡蓮はひとつだけ咲いていました。次に咲くのは、いつになるのか。けれど、不思議とそれを「待つこと」に焦りはありません。自然は、必要なときに、必要なものを、必要なかたちで見せてくれます。
私たちもまた、焦らなくていいのかもしれません。ただ、風に揺れる木の葉のように、水面に浮かぶ睡蓮のように、あるがままに、自分に戻っていけたなら。
CS60LOHAS北九州緩みでは、そんな「自分に戻る時間」を、これからもお届けしてまいります。
── あなたが、あなたの本来の美しさに、また出会えますように。

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